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今月の巻頭言

2019年11月号 月初の言葉 終わりを全うする 【DailyReport巻頭言 第110回】

今月の表紙: 高齢者総合福祉施設アザレアンさなだ (長野県)

仏教用語で四苦八苦(しくはっく)という言葉があります。生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)を四苦とします。それぞれ以下のような意味があります。

生苦 – 生まれること。
老苦 – 老いていくこと。体力、気力などが衰退し自由が利かなくなること
病苦 – 様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされること
死苦 -死ぬことへの恐怖、その先の不安なこと

この四つの苦に加え、

愛別離苦(あいべつりく) – 愛する者と別離しなければならないこと
怨憎会苦(おんぞうえく) – 怨み憎んでいる者に会わなければならないこと
求不得苦(ぐふとくく) – 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) – 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

の四つの苦を合わせて八苦と呼びます。

その最後にやってくる死について一斎は、このようなことを述べています。

釈は死生を以て一大事と為す。我れは則ち謂う、「昼夜は是れ一日の死生にして、呼吸は是れ一時の死生なり。只だ是れ尋常の事のみ」と。

(『言志耋録』第337条)

(現代語訳)
仏教では死生を人生の重大事としている。自分は「昼と夜とは一日の生と死であり、吸う息とはく息とは一時の生と死であって、ただこれは日常普通の事である」と思っている。

経営者ならば子に対する事業承継は一大イベントです。一斎はこのようなことも述べています。

親の道は慈に在り。人概ね子に厳にして孫に慈す。何ぞや。蓋し其の子に厳なるは、責善の切なるを以て然り。乃ち慈なり。其の孫に慈するは、其の我れに代り以て善を責むる者有るを以て、故に只だ其の慈を見るのみ。祖先の子孫に於けるも、其の情蓋し亦相逓いに爾らんか。

(『言志耋録』第333条)

(現代語訳)
親が子に対する道は慈愛である。人はたいてい子に対しては厳格であるが、孫に対しては慈愛なのはどういうわけだろうか。思うに、自分の子に厳格なのは、善行を勧めてなさせる心が痛切であるためである。このことは子に対する慈愛なのである。その孫に対する慈愛は、自分に代って善行をなさせる者(親)がおるからであって、そのために、ただ慈愛だけを表わすことになるのである。祖先の子孫に対する情も、このように子に対しては厳格、孫に対しては慈愛というふうに互い違いに伝わってきたのではなかろうかと思われる。

そして人生最後の時をこう述べています。

吾が軀は、父母全うして之を生む。当に全うして之を帰すべし。臨終の時は他念有ること莫れ。唯だ君父の大恩を謝して瞑せんのみ。是れ之を終を全うすと調う。

(『言志耋録』第340条)

(現代語訳)
自分の体は、父母が完全な形で生んでくれたのであるから、自分も完全な形でこれを返さなければならない。臨終の時には色々とほかのことを考えてはいけない。ただ、君父から受けた大恩を深く感謝して目を閉じるー往生するーだけである。これを終りを全うするというのである。

たとえどれほど事業の成功した経営者であったとしても死はやってきます。松下幸之助氏は自らが設立した病院で、病院スタッフなどにまで「ありがとう」と感謝の言葉を述べて亡くなったと聞きます。

亡くなって忘れ去られる人もいれば、亡くなってこそ心に遺る言葉や誰もが思いおこし姿勢をあらためさせる生き様を遺す人もいます。

一斎の人生ならびに死に対して達観した態度である「終わりを全うする」生き様は人生の理想形なのかもしれません。

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